13.自然と人との関わり

1枚目の写真はイタリア・アンコナの写真です。アンコナはマルケ州アンコナ県の県都で、アドリア海に面した港町です。港からは対岸のクロアチアやギリシャへの客船も出航しています。アンコナ港から丘を上り中心街の大通りを南東に抜けるとそこは丘の終点で断崖になっていて、前面には広大なアドリア海が広がっていました。
崖を降りてみると、色とりどりの木製の観音扉が海岸線に沿って数え切れないくらい並んでいました。その扉の中はそのひとつひとつがトンネル状の穴になっていて、舟が納まり、扉を開きそのまま前進すると入水できるような、非常にシンプルでダイレクトな構造になっていました。

2枚目はブータン・パロのタクツァン僧院の写真です。そこはチベット密教最大の聖地といわれ、断崖絶壁のすごい場所(標高3100m)にありました。遠くから眺めていた時もすごい場所だなあと思っていましたが、近くで見たときの方がそのリアルな地形を目の当たりにし、より、そう実感したのを覚えています。

アンコナで観音扉の列を見たときは「何だ?何だ?」という感じで、街を散歩しているときに新しいものを発見した時のような身近な感覚でしたが、タクツァン僧院では(チベット密教のことを少し頭から外せば)、「えーっ!おーっ!何でここに!」という感じで圧倒され、その印象は全く違ったものでした。

両者に共通している点は自然と人が向き合っていること、そして自然との関わりの上に建築が成り立っているということだと思います。そしてこのことは自然と人との関わりに建築の出発点があることを教えてくれているように感じました。

12.海辺に見た平和的風景

ノルウェーミラー

1枚目はノルウェー・ヴォス近郊のフィヨルドの写真です。フィヨルドは海なので川のような流れはありませんが、この日は風もない穏やかな天気だったため、波もない静かな水面には、背景の山並みがきれいに映し出されとても幻想的な風景でした。
水面が背景の景色に同化することで、陸と海の境界線はぼやけてあいまいになり、まるでひとつのつながった風景のようになっています。ボーッと眺めていると水の存在を忘れて海に足を踏み入れてしまいそうで、その静寂に満ちた風景に非常に平和的な気持ちになりました。

2枚目の写真はポルトガルのポルトから北へ約50kmほど行った海岸です。白い波しぶきを上げて打ち寄せる波のラインの美しさ、引いていく波の動き、波の音、風の音、人々の声、そして浜辺でビーチサッカーをしている少年たちの姿に心和まされた風景でした。そしてやはりここでも平和的な気持ちになったことを覚えています。

これらは両方とも海の写真なのですが「静」と「動」でまったくその印象は違います。しかしそこから感じた平和的な感情は共通していました。それは水辺との関わりに起因しているのかもしれませんし、陸と海との接点のありように起因しているのかもしれません。

建築の場合、計画の中に水辺を取り入れるケースは多く見られますが、水辺との関わりや水辺との接点のありようを考える上で、これらの事例で感じたことは非常に大切なことなのではないかと思いました。

11.木製の屋根付き橋からの風景

1枚目はイタリアのバッサーノ・デル・グラッパにて橋上から見た風景の写真です。この町はヴェネツィアから北へ約100kmの場所に位置し、町の中心にはブレンタ川が流れているグラッパ山のふもとの小さな美しい町でした。
川にかかる木製の屋根付き橋(アルピーニ橋)は町のシンボルになっていて、その橋から見る風景は山々を背景にした美しい町並みが非常に印象的でした。そしてその日は雪が残る寒い日でしたが、他の場所から見たときに感じた自然の厳しさとは違い、木の橋の上から見たその同じ町並みには何故かあたたかさを感じていました。

2枚目はブータンのプナカゾンを橋上から見た写真です。ゾンとは行政と寺院の機能を備えた城塞のことで、日本でいうと役所や議事堂などにあたる場所なのですが、その全景を見たときは威厳があり、まさに城塞といったイメージ通りの印象でした。
このゾンは紫色の花が美しいジャカランタの並木に囲まれていて、左右に川が流れているため中に入るには木製の屋根付き橋を渡るようになっていました。しかし屋根がある木造の橋に足を踏み入れた瞬間、今までの遠い存在に見えていたゾンが急に身近な風景として目に映ってきました。そしてその時バッサーノの橋のことを思い出したことをよく覚えています。

これらは、「ものを通して見ること見せること」によって建物や町並みの印象が変わってくることを再認識させられた事例です。そしてこのことは建築を計画する上でのアプローチ部分の大切さを教えてくれているようにも感じられました。

10.屋根の力

1枚目は沖縄の中村家住宅の写真です。18世紀中頃に建てられたというこの住宅が沖縄戦の戦禍をのがれたという事実にまず驚き、そして敷地内に入るとその屋根の美しさにひきつけられました。
住宅の周囲は防風林として屋根よりも高い木(フクギ)に囲まれていました。そのため周囲の家々とは縁が切れていたため、漆喰で固められた赤い瓦屋根の存在をより強く感じていたのだと思います。棟の長さが短い寄棟の大きな屋根のデザインは重すぎず軽すぎず、心地よい安心感を与えてくれていました。

2枚目の写真はクロアチアのドブロブニクです。旧市街の周りを取り囲んでいる城壁の上から旧市街を見下ろしています。同色の洋瓦で統一されている屋根が一面に広がり、背景の青いアドリア海とマッチした美しい風景でした。
屋根は機能としては強い日差しや雨風をしのぐという大切な役割を担っていますが、ドブロブニクの一面屋根の風景を眺めていると、家々の屋根が集まることによって街の風景がつくりだされているということを改めて気づかされます。

設計中に屋根のデザインに行き詰ると、道を歩いている時も、電車に乗っているときも、屋根ばかりを目で追ってしまうことがしばしばあります。屋根を中心に建築を見ていると屋根がいかに街並みに影響を与えているのかが見えてきて、建築における屋根の力を再認識させられます。

09.同じようで同じでないこと

1枚目の写真はノルウェーのホテルのロビ-です。ソグネフィヨルドのグドヴァンゲンからヴォスの間に位置し、バスの休憩所として立ち寄ったホテルです。断崖の上に建っているため雄大な渓谷を眺めることができるホテルでした。
そのロビーは絶景に対して前面がガラス張りになっていて、左サイドの壁も上部がスリットガラスになっていました。それはあたかも自分が自然の中にいるかのような気持ちになれ非常に開放感を感じられました。しかしその反面「ここでゆっくりしたいな」という気持ちにはならなかったことも覚えています。

2枚目はフィンランドのオタニエミ教会の写真です。ヘルシンキ工科大学の敷地内にある小さな教会です。装飾的なものはあまりなく、十字架が教会の外側(森の中)に立てられているのが特徴で、他のフィンランドの教会でもそうですが自然崇拝の考えが非常にシンプルに表現された教会だと思いました。
ノルウェーのホテルとは違い前面だけがガラス張りになっていて、開放感では負けているかもしれませんが逆に自然をより近くに感じることができ、「ここでゆっくりしたいな」「ここで四季を感じてみたいな」という気持ちになったのを覚えています。

どちらがいいとかそういう問題ではないのですが、ちょっとした窓のデザインの違いが「開放感」と「自然を取り込むこと」は同じことのようで同じことではないことを気づかせてくれています。そして「外で感じている自然の美しさ」と「建物の中で感じる自然の美しさ」は同じではないということも感じられました。

08.人の生活が主役 ― タイで見た市場 ―

100801メークローン01

 1枚目の写真はタイの市場です。以前TV番組の「世界の車窓から」に取上げられていたのを見て一度訪れたいと思っていた場所です。バンコクからローカル線を乗り継ぎ終点の駅メークローン。その駅前の市場は線路の部分を通路に見立てその両サイドにずらりと商品が並んでいました。

仮設のテントが線路の上まで伸び、暑い日差しを遮り、雨が降っても気にせずに買い物ができます。そして線路のレールが綺麗に通路と商品陳列の境界になっていることで場に秩序や落ち着きを与えているように感じ、この線路が現役の線路であることを忘れてしまいそうになりました。

 

100802メークローン02

2枚目の写真はその線路を列車が通過するときのものです。列車の車高より低い陳列物は線路際までそのまま残っているものもありますが、その他の陳列物は車幅のギリギリのところまで下がっていました。よく見ると陳列台に滑車と滑車用のレールを敷いて工夫されているのがわかります。

出店者はみんな総出でテントを閉じ陳列物を片付けて列車の通過を待ちます。そして列車が通過したところから順にテントを張り、何事もなかったかのようにまた市場の風景に戻ります。その数分間のありようは圧巻でした。

この路線は1日4往復なので1日8回のこの作業、一見ものすごく効率悪く見えますが、片付ける人に合わせながら人を掻き分けるようにゆっくりと進む列車を見ていると、あくまでも人の生活が主役なそんな人間味あふれる風景にこころ温まります。

07.安心感を背景にしていること

100701ジャイアンツコーズウェイ

1枚目の写真は北アイルランドの北海岸のジャイアンツ・コーズウェーの写真です。6角形の岩の柱群、そしてそのスケール。とてもとても自然にできたものとは思えないその景色は衝撃的でした。

この6角形の岩の柱群は過去の火山活動の跡で、マグマが冷えて固まってできたものなのだそうです。長い年月の間、波に削られ、風に削られ、人に踏まれながら今の形状になっていったのだと思います。そしてそこに身を置いた時、そこに集まっている人とその景色との組み合わせに、妙に心地よさを感じたのを覚えています。

 

100702ハロン湾

2枚目の写真はベトナムのハロン湾の夕景写真です。夕日によるその美しいシルエットが形の強さや形の大切さを強く感じさせてくれるものでした。そしてそれと同時に、山頂に浮かび上がった建物のシルエットに「ここは人の領域である」という安心感を感じ、移りゆく闇夜への恐怖感から開放されていくようにも感じました。

私たちが自然に対して感じている美しさや心地よさは、人が入り、人が関わり、人が手を加えている、何らかの形で「人が関わっている自然」に対して覚えているのだと思います。それは本当の手付かずの自然に対してだと恐怖心を感じてしまい、安心してその風景を受け入れることができないからではないでしょうか。

無防備になれることやリラックスできること、つまりは「安心感を背景にしていること」がベースにあって、人は美しさや心地よさを感じることができているのだと2枚の写真は気づかせてくれています。

06.人を感じるしつらえ

100601アンコナベンチ

1枚目の写真はイタリアのアンコナで見かけた窓際のしつらえです。ポルトガルなどの民家でも同じようなものを何度か見かけ、気になっていたしつらえです。壁に2人が向かい合って座れるくらいの穴が空いていて、そこにベンチとコーヒーを置ける程度の小さなカウンターが付いていました。

カウンターに肘を掛け一人で外の景色を眺めたり、陽だまりのなかで昼寝をしたり、親子で向かい合って座り今日一日の出来事を話したり、窓際を舞台にしたさまざまな生活のシーンが目に浮かんできて温かい気持ちになります。

 

100602マーストリヒト階段

2枚目の写真はオランダのマーストリヒトにある公共施設のひな壇状の階段です。その階段は吹き抜けの大きな空間のなかでエントランスホールと2階の展示スペースとを結んでいます。右側半分が上り下りするための階段として、左側半分は段板の上に座れるようになっていました。

段板の上に並べられた赤と紫の丸いソファーのような座布団に導かれ、気付くと吸い込まれるように座っていました。公共施設はどうしても堅苦しく冷たい雰囲気になりがちですが、何か身近で温かいなあと感じていました。

場と場の接点や境界に、人が留まるような場所をしつらえたり、会話の生まれる場所をしつらえたりすることで、そこに人を感じ、それぞれの場が繋がって見えてきます。そしてそのしつらえが温かさを感じる上でも重要な要素なんだと気づかせてくれています。

05.佇まいの蓄積

100501ロッテルダムの扉

1枚目の写真はオランダ・ロッテルダムの集合住宅の写真です。街路に対して玄関が3つ並んでいます。違和感なくさりげなく佇んでいます。しかしよく見てみると真ん中のドアの向こう側はどうなっているのでしょうか?

倉庫なのでしょうか? いや、住所があるから住居でしょう。中に入ると直に階段があって2階でまたいくつかの住戸に分かれているのでしょうか? それとも2階に内玄関があって一戸の住居になっているのでしょうか?? 中に入って確認できるわけではないのですが、頭の中のイメージはどんどんと膨らんでいきます。

 

100502さくら

2枚目の写真は桜の写真です。太い幹に咲いた桜です。一見「えっこれが桜?」と思うかもしれません。桜というとどうしても勢いよく伸びた枝先に満開に咲いた一面さくら色の情景をイメージしてしまいますが、少し視点を変えてその太い樹幹に目をやると、思わぬところに桜の花びらを見つけることができます。

荒々しい樹皮に咲く愛くるしい桜の花。その姿はまるで美女と野獣といった感じです。全体の美しさに気をとられてしまい、ついつい見落としてしまっていますが、これもれっきとした桜のありさま、佇まいなのです。

日頃何気なく目にしている風景や身の回りのモノですが、先入観を持たないで見たり、またイメージを膨らませて見ることによって、少し違った佇まいが見えてきます。そういったモノを記憶しておくこと、つまり佇まいの蓄積を大切にしています。それはきっと建物をつくるときに役立つはずだから。

04.生活がはみ出した景観

100401ハノイ線路

1枚目はベトナムのハノイにある線路の写真です。線路の脇には街路のように家が建ち並んでいて、砂利敷きの線路脇が家々のメインストリートになっていることに驚きました。寛いでいる人がいれば商売をしている人も、そしてバイクも走っていました。

道を中心に街並みが形成されていくことを考えれば、その昔まだインフラが整備されていなかった頃は、ここでは鉄道が生活に欠かせない最も重要なものであったことをうかがい知ることができます。

 

100402メコンデルタ

2枚目の写真もベトナムです。メコン川の支流沿いの街並み。生活の足であるボートが車のように行き交っていましたが、ボートに乗って移動するとその生活の場面・場面がスライドのように目に映り、その活気さと人々の笑顔が非常に印象的でした。

東南アジアの田舎に行くと昔の日本の風景を見ているかのようで懐かしさを覚えたりしますが、この二つの景観からは少し違った印象を受けていました。懐かしさとは少し違う、何かホッとするような、心和むような感覚になっていました。

プライバシーの強い西欧の家とは違い、家の前にも生活の一部がはみ出した、そんなアジア的な人の顔が見える景観にホッとし、心和んでいたのだと思います。かつては日本にも人の顔が見える景観は当たり前のようにありました。しかし最近はそんな景観も段々と街並みから姿を消していっているのが残念に思えます。