03.そこにあるものを生かすこと

100301水道橋

1枚目の写真はポルトガルのエヴォラにある水道橋です。エヴォラはローマ時代の城壁に囲まれた小さな町ですが、ローマ、中世、近世、現代と各時代の様式が混在していて、長い年月の間この小さな町が重要な町として存在していたことがうかがえました。

水道橋は城壁の外から中へとつながって残されているのですが、その水道橋が城壁の内側では住居にうまく利用されていました。水道橋には線路の高架下のような奥行きはありません(写真を見るとアーチの下に家の屋根があるのがわかると思います)。ですからこの事例は日本で見られるような高架下の使われ方とは違います。

水道橋をうまくファサード(正面のデザイン)の壁面として利用していました。橋脚のピッチや高さが住居に利用するのに程よい間口と高さだったのだと思います。対面の街並みにも違和感なく溶け込んでいました。

 

100302ピオダォン

2枚目の写真もポルトガルです。ピオダォンというアソル山の谷間(標高1200m)に西面する約150軒からなる小さな山岳の村です。たまたまエヴォラの本屋さんで見つけた一枚の写真から知り、どうしても行きたくなりました。

その小さな村は、アソル山の頂上を越えて反対側に降り始めた時、突然対面の山の中腹に貼り付いたように石の家の固まりとして目に飛び込んできました。しかし、その山肌に貼り付いた様相の割には不思議と悲壮感や荒々しさというものは感じられず「何故こんなところに村をつくったのだろう」というようなことが一度も頭の中をよぎりませんでした。実物はとても自然に感じたのです。

自然や場所との関わりの中から「そこにあるもの」をうまく生かしながら、人の手を加えていくことで「人が住むところ、集落」ができていく。それはありふれたことかもしれませんが建築の原点を見たように思いました。

02. 安心を感じるもの

100201モハーの断崖

1枚目の写真はアイルランドの西海岸にあるモハーの断崖です。その断崖沿いの歩道には手摺りのようなものは何もなく、崖とは反対側に沿って膝ほどの高さの薄いスレート板が立ち並んでいるだけでした。
スレートのその粗い質感やつくりが「ここから先は美しい景色ですが危険を伴います。これより先に入る場合は自分自身で身を守ってください。」と暗示しているかのように感じられ、同時に自然に対して人間を大人扱いしているなあと共感できました。その反面そのスレートによる境界が、不思議と安心感を与えてくれているのです。

 

100202伊豆大室山

2枚目の写真は伊豆の大室山の山頂噴火口の稜線です。一本のロープがやはり内側に張られていました。それは一本のロープにすぎないのですが、仕切るのではなく、ロープで境界を示すという非常に日本的な方法です。それは眺望の邪魔をせず、アイルランドの断崖と同じように稜線を歩くのに安心感を与えてくれているのです。
もしも、これらの道にスレート板やロープがなかったとしたらどうでしょうか? 同じ歩道なのに足がすくんで腰がひけてしまい、歩くのが少し怖くなってしまうことでしょう。

しかし、スレート板やロープで「境界を示す」ことによって歩道はより確かなものとして認識されるようになります。それが安心感につながる暗示になっているんだと気づかせてくれています。

01.フィンランドで見た窓の景色

100101窓から見る木

1枚目の写真はフィンランドのヴァンターにある教会の縦長のスリット窓です。目の前にその教会が現れたときにはなぜ縦長のスリット窓なのだろうと思いながら見ていました。
教会の中に入ってみるとその縦長のスリット窓によって白樺の幹一本一本が強調されているように見えました。そして不思議にも森の中を歩いているかのような気持ちになったのでした。
フィンランドの街並みは広大な緑の森を背景にしているため白樺の真直ぐに伸びた樹幹の白さが強調されて見えるのです。室内側から見たスリットと外の景色はそのことをより連想させるものだったのかもしれません。

 

100102ステンド越しの緑

2枚目の写真もフィンランドです。ポルヴォーという町にある教会のステンドグラス。教会のステンドグラスというと濃い色で絵画のようなものをイメージしてしまいます。ですが、この教会のものは無色と淡く明るいブルーとグリーンのステンドグラスをグリット状に組み立てたあっさりしたものでした。
そこには建物裏側の木々の葉が風にそよぎサラサラと動き、チカチカと光を反射する様子が映し出されていました。何とも言えない心休まる場がそこにはありました。

窓は外の景色や光、風を取り入れることはもちろんですが、「窓は内と外とをつなぐもの」として大切な役割があることを気づかせてくれています。そして、この窓を見ていると日本人と同じようにフィンランドの人々が自然を崇拝し、自然と共に生きていることも感じられました。

00. ”建築のもと”とは

 いろいろなところで『心地いい』といった表現を目にしますが、『心地のよさ』って何だと思いますか? 非常に感覚的なことなので「どんな?」と言われると「さて?」と考えてしまう方が多いと思います。それは建築家にとっても同じことです。

では建築家はどうやって『心地よさを確かにするもの』を蓄積しているのでしょうか。私の場合はまず旅先や日常の生活の中で自分がいいなと思ったもの、気になったものを、難しく考えず自分の気持ちに素直に写真などに収める様にしています。

そしてそれらのものを後から振り返ってみると、どこかに共通点が見えてきて自分がどういうことに興味を持っているのかが見えてきたりします。このような蓄積が心地よい場をつくり出す源になっているのだと思います。

建築家として「日頃どんなものを見、どんなことを感じているのか」国内外の事例をもとに紹介していきたいと思います。