宮古島03

宮古島3日目(5/15)

前浜ビーチで海水浴、そして伊良部島・下地島へ。ちゃんと海水浴をしたのはいつ振りだろうか?バリ島以来だから、かれこれ四半世紀ぶりではないかと思うけれど、あらためて数字にしてみるとあまりの年月にギョッとしてしまいます。こんなきれいな海で泳いでしまうと、また間が開いてしまうかもしれない…

海水浴後に行った佐和田の浜を見渡せるピザ屋「BOTTA」は長居したくなる場所でしたが、下地島空港の先端西側の海の景色が個人的には一番印象に残りました。少し曇りぎみだったせいもあるかもしれませんが、なぜか龍安寺の石庭が思い出されました。

宮古島02

宮古島2日目(5/14)

終日、池間島を満喫。西側のイキズー海岸では、干潮時にはシュンーケリングなしでも海に入らなくても魚が見れました。クマノミも見れました!(水面ぎりぎりからの写真で水中写真ではないです)

ちょうど居合わせた観光協会の人から教えてもらいヤドカリ玉というのを初めて見ました。小さなヤドカリが集まって空のヤドの争奪をするらしいのですが…見たときはちょうど解散中でした。

宿泊は、民宿おにおん倶楽部に連泊。コンドミニアムで優しいオーナー夫妻が迎えてくれる、お勧めの宿です。ホタルにも会えました。

宮古島01

仕事の都合で一足も二足も早い夏休みを5月にとり7泊8日で、宮古島、与論島に行ってきました!旅の様子をほんの少しですが記していこうと思います。

宮古島1日目(5/13)

出発日前日、沖縄地方は梅雨入りしたようで、条件付の出発でしたが、那覇乗り継ぎ便にて夕方無事に宮古島に到着しました。やはり雨の宮古島。レンタカーを借りて1泊目の池間島へ向かうと、着くころにはなんと雲が割れて太陽が!!!。海に沈む夕日を見ながらのお風呂は、写真を撮るのを忘れるくらい癒されましたが、初日の宮古の写真がありません。

宿泊は池間の宿 凸凹家。東シナ海が目の前で、部屋には大きなお風呂(3人で寝転がれるほど大きなお風呂)、島料理、波の音が心地よくお勧めです。(食事中は泡盛がフリードリンクでした)

05.佇まいの蓄積

100501ロッテルダムの扉

1枚目の写真はオランダ・ロッテルダムの集合住宅の写真です。街路に対して玄関が3つ並んでいます。違和感なくさりげなく佇んでいます。しかしよく見てみると真ん中のドアの向こう側はどうなっているのでしょうか?

倉庫なのでしょうか? いや、住所があるから住居でしょう。中に入ると直に階段があって2階でまたいくつかの住戸に分かれているのでしょうか? それとも2階に内玄関があって一戸の住居になっているのでしょうか?? 中に入って確認できるわけではないのですが、頭の中のイメージはどんどんと膨らんでいきます。

 

100502さくら

2枚目の写真は桜の写真です。太い幹に咲いた桜です。一見「えっこれが桜?」と思うかもしれません。桜というとどうしても勢いよく伸びた枝先に満開に咲いた一面さくら色の情景をイメージしてしまいますが、少し視点を変えてその太い樹幹に目をやると、思わぬところに桜の花びらを見つけることができます。

荒々しい樹皮に咲く愛くるしい桜の花。その姿はまるで美女と野獣といった感じです。全体の美しさに気をとられてしまい、ついつい見落としてしまっていますが、これもれっきとした桜のありさま、佇まいなのです。

日頃何気なく目にしている風景や身の回りのモノですが、先入観を持たないで見たり、またイメージを膨らませて見ることによって、少し違った佇まいが見えてきます。そういったモノを記憶しておくこと、つまり佇まいの蓄積を大切にしています。それはきっと建物をつくるときに役立つはずだから。

御柱祭

今回で3回目、氏子としての参加となった御柱祭下社の山出し。「下諏訪の家」が縁でと思うと、もう12年が経過したことになります。月日の流れは早い!

 16040901御柱が曳かれた跡

16040902前の御柱が木落しされた瞬間。いよいよ!

 

04.生活がはみ出した景観

100401ハノイ線路

1枚目はベトナムのハノイにある線路の写真です。線路の脇には街路のように家が建ち並んでいて、砂利敷きの線路脇が家々のメインストリートになっていることに驚きました。寛いでいる人がいれば商売をしている人も、そしてバイクも走っていました。

道を中心に街並みが形成されていくことを考えれば、その昔まだインフラが整備されていなかった頃は、ここでは鉄道が生活に欠かせない最も重要なものであったことをうかがい知ることができます。

 

100402メコンデルタ

2枚目の写真もベトナムです。メコン川の支流沿いの街並み。生活の足であるボートが車のように行き交っていましたが、ボートに乗って移動するとその生活の場面・場面がスライドのように目に映り、その活気さと人々の笑顔が非常に印象的でした。

東南アジアの田舎に行くと昔の日本の風景を見ているかのようで懐かしさを覚えたりしますが、この二つの景観からは少し違った印象を受けていました。懐かしさとは少し違う、何かホッとするような、心和むような感覚になっていました。

プライバシーの強い西欧の家とは違い、家の前にも生活の一部がはみ出した、そんなアジア的な人の顔が見える景観にホッとし、心和んでいたのだと思います。かつては日本にも人の顔が見える景観は当たり前のようにありました。しかし最近はそんな景観も段々と街並みから姿を消していっているのが残念に思えます。

03.そこにあるものを生かすこと

100301水道橋

1枚目の写真はポルトガルのエヴォラにある水道橋です。エヴォラはローマ時代の城壁に囲まれた小さな町ですが、ローマ、中世、近世、現代と各時代の様式が混在していて、長い年月の間この小さな町が重要な町として存在していたことがうかがえました。

水道橋は城壁の外から中へとつながって残されているのですが、その水道橋が城壁の内側では住居にうまく利用されていました。水道橋には線路の高架下のような奥行きはありません(写真を見るとアーチの下に家の屋根があるのがわかると思います)。ですからこの事例は日本で見られるような高架下の使われ方とは違います。

水道橋をうまくファサード(正面のデザイン)の壁面として利用していました。橋脚のピッチや高さが住居に利用するのに程よい間口と高さだったのだと思います。対面の街並みにも違和感なく溶け込んでいました。

 

100302ピオダォン

2枚目の写真もポルトガルです。ピオダォンというアソル山の谷間(標高1200m)に西面する約150軒からなる小さな山岳の村です。たまたまエヴォラの本屋さんで見つけた一枚の写真から知り、どうしても行きたくなりました。

その小さな村は、アソル山の頂上を越えて反対側に降り始めた時、突然対面の山の中腹に貼り付いたように石の家の固まりとして目に飛び込んできました。しかし、その山肌に貼り付いた様相の割には不思議と悲壮感や荒々しさというものは感じられず「何故こんなところに村をつくったのだろう」というようなことが一度も頭の中をよぎりませんでした。実物はとても自然に感じたのです。

自然や場所との関わりの中から「そこにあるもの」をうまく生かしながら、人の手を加えていくことで「人が住むところ、集落」ができていく。それはありふれたことかもしれませんが建築の原点を見たように思いました。

02. 安心を感じるもの

100201モハーの断崖

1枚目の写真はアイルランドの西海岸にあるモハーの断崖です。その断崖沿いの歩道には手摺りのようなものは何もなく、崖とは反対側に沿って膝ほどの高さの薄いスレート板が立ち並んでいるだけでした。
スレートのその粗い質感やつくりが「ここから先は美しい景色ですが危険を伴います。これより先に入る場合は自分自身で身を守ってください。」と暗示しているかのように感じられ、同時に自然に対して人間を大人扱いしているなあと共感できました。その反面そのスレートによる境界が、不思議と安心感を与えてくれているのです。

 

100202伊豆大室山

2枚目の写真は伊豆の大室山の山頂噴火口の稜線です。一本のロープがやはり内側に張られていました。それは一本のロープにすぎないのですが、仕切るのではなく、ロープで境界を示すという非常に日本的な方法です。それは眺望の邪魔をせず、アイルランドの断崖と同じように稜線を歩くのに安心感を与えてくれているのです。
もしも、これらの道にスレート板やロープがなかったとしたらどうでしょうか? 同じ歩道なのに足がすくんで腰がひけてしまい、歩くのが少し怖くなってしまうことでしょう。

しかし、スレート板やロープで「境界を示す」ことによって歩道はより確かなものとして認識されるようになります。それが安心感につながる暗示になっているんだと気づかせてくれています。

01.フィンランドで見た窓の景色

100101窓から見る木

1枚目の写真はフィンランドのヴァンターにある教会の縦長のスリット窓です。目の前にその教会が現れたときにはなぜ縦長のスリット窓なのだろうと思いながら見ていました。
教会の中に入ってみるとその縦長のスリット窓によって白樺の幹一本一本が強調されているように見えました。そして不思議にも森の中を歩いているかのような気持ちになったのでした。
フィンランドの街並みは広大な緑の森を背景にしているため白樺の真直ぐに伸びた樹幹の白さが強調されて見えるのです。室内側から見たスリットと外の景色はそのことをより連想させるものだったのかもしれません。

 

100102ステンド越しの緑

2枚目の写真もフィンランドです。ポルヴォーという町にある教会のステンドグラス。教会のステンドグラスというと濃い色で絵画のようなものをイメージしてしまいます。ですが、この教会のものは無色と淡く明るいブルーとグリーンのステンドグラスをグリット状に組み立てたあっさりしたものでした。
そこには建物裏側の木々の葉が風にそよぎサラサラと動き、チカチカと光を反射する様子が映し出されていました。何とも言えない心休まる場がそこにはありました。

窓は外の景色や光、風を取り入れることはもちろんですが、「窓は内と外とをつなぐもの」として大切な役割があることを気づかせてくれています。そして、この窓を見ていると日本人と同じようにフィンランドの人々が自然を崇拝し、自然と共に生きていることも感じられました。